高校入試「受験生のオリジナル性」を評価する時代に

「デジタル治療アプリ」をご存知でしょうか?

アプリと連携されたAIが病気の診断を下し、健康管理を完璧にこなし、行動変容までも促す。そしてついには病を治してしまう。今はこのような時代。私たちの身体的なデータすら瞬時に解析され、最適なライフスタイルが提示されます。情報の処理速度や、膨大なデータから「正解」を導き出す能力において、人間はとうの昔にAIに敵わなくなりました。

そんな凄まじい変化の渦中で、私はコンサルティングで子どもたちと向き合いながら、強烈な葛藤を抱えることがあります。

「要約や結論なら、AIが1秒で提示してくれるこの時代に、なぜ私は目の前のお子さんに、分厚く難解な本と格闘させているのだろうか」と。

実際、難関校を目指す賢い生徒たちの中には、「先生、この評論文、AIに要約させたら一瞬で構造がわかりましたよ」と効率の良さを誇らしげに語る子がいます。

確かにその通りです。情報を単なる「データ」として摂取するだけなら、それは圧倒的に正しい。

しかし、私は教育のプロフェッショナルとして、明確にこう判断しています。

AI時代に生きるお子さんだからこそ、情報を「摂取」するのではなく、著者の思考の軌跡を「なぞる」読書体験が、唯一無二の命綱になるのだ、と。なぜなら、そこに自ら頭を使って考えた体験があるからです。

では、この時代に、あえて時間をかけてどんな本を読めばいいのか。

私は、ただ役立つノウハウ本ではなく、あえて「すぐには答えが出ない本」や「世界の構造を紐解く本」を選び、お子さん一人ひとりの知的な発達段階や性格に合わせて、個別最適化して手渡しています(プライベート選書)。

一つは、「人間の矛盾や割り切れなさ」を描いた文学や、深く内省を促す哲学書です。

AIは、与えられた条件下で「最適解」を出す天才です。しかし、人間の感情や社会の営みは、データのように綺麗には割り切れません。「なぜあの人は、正しいとわかっているのに間違った行動をとってしまったのか」。そんな人間の愚かさや、だからこその美しさに触発される時間。

かつて、浜松北高や愛知の明和高などの難関校を目指すある生徒は、理路整然とした情報処理は得意でしたが、どこか無機質で冷たい文章を書いていました。私は彼に、生命倫理のジレンマや人間の業について書かれた本をあえて提示しました。数週間後、彼の書く文章に「迷い」という温かな体温が宿ったのです。構造を理解した上で、あえて「答えが出せない」ことに向き合う。その葛藤の跡が、彼の思考を誰にも真似できないほど深く、説得力のあるものに変えました。

もう一つは、「自然の法則や原理原則」に迫る科学書や、歴史のダイナミズムを描いた本です。

テクノロジーがどれほど進化しても、重力の法則や生態系のバランス、あるいは人間の集団がどのような時に栄え、衰退するのかといった「原理原則」は変わりません。表面的な流行の知識ではなく、この世界がそもそもどう成り立っているのかという「骨格」を知ること。

枝葉の知識の検索はAIに任せればいいのです。しかし、「そもそもなぜこの現象が起きるのか」という根源的な問いを立て、バラバラの事象を繋ぎ合わせて全体を俯瞰する力は、原理原則という太い幹を持った人間にしか発揮できません。

親御さんからすれば、入試というタイムリミットが迫る中で、「そんな悠長な読書をしている時間があるのか」「もっと即効性のあるテクニックを」と焦られるお気持ちは、痛いほどよくわかります。

しかし同時に、私の中には強い憤りがあるのです。 これほどまでにデジタル技術が進化し、AIが1秒で正解を出せる時代に、なぜ静岡県の高校入試は未だに「いかに早く、正確に、ミスなく正解を出すか」という、情報処理能力ばかりを問う旧態依然とした枠組みから変わらないのでしょうか。

AIと同じ土俵で競うような入試に向けてお子さんを駆り立てることは、いずれAIに完全に代替されてしまう能力を磨き続けるという、息の詰まる消耗戦でしかありません。

だからこそ、私は読書にこだわるのです。 情報の要約や抽出なら、AIに任せればいい。しかし、著者が迷い、考察した泥臭い思考の軌跡を追体験し、自らの想像力を羽ばたかせ、独自の世界観を築き上げる営みは人間にしかできません。

情報処理の速度では勝てなくても、情報と情報の間に「意味」を見出し、「私はこう思う」という主観を打ち立てる力は、この面倒で非効率な読書のプロセスからしか生まれないのです。 お子さんが本の中で新しい視点に出会い、ハッと目を見開く瞬間。そこには、どんなAIにも模倣できない人間の知性の輝きがあります。

偏差値や点数という「わかりやすい指標」に追われる日々の中でこそ、ほんの少し立ち止まり、お子さんと「答えのない問い」について対話してみてください。

近未来の高校入試が、AIに代替可能な処理能力ではなく、子どもたちが読書を通じて育んだ想像力やクリエイティビティ、その子にしかない「オリジナル性」を正当に評価する制度へと変わることを、私は強く望んでいます。


2026/03/09 Category | blog 



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