令和8年度浜松西高中等部入学者選抜 作文問題 ついて語る
「うちの子、このままで大丈夫でしょうか」
夜、静まり返ったリビングで、作文の練習用紙を前に、そうポツリと独り言をもらしてしまう。そんなお母さんの、あるいは、言葉には出さないけれど背中で語るお父さんの、胸の奥にある「震え」のような不安。私は、それをずっと見つめてきました。
令和8年度、浜松西高中等部の作文入試。 そこで突きつけられたのは、ある意味で残酷なほどに純粋な、学校側からの「ラブレター」、いえ、ある種の「制約書」でした 。
今回の題材は、岩波ジュニア新書の『中学生になったら』 。 「自分なりの『これだ』に気づいて、勉強のペースを作る方法を見つけていくことが必要だ」という一節。そして問いは、あえて「勉強以外」でそれを実践した経験を求めてきました 。
これは、単なる作文の試験ではありません。
「あなたは、自分の人生を、自分の足で歩く覚悟がありますか?」
学校側が、受験生一人ひとりの瞳をじっと覗き込みながら、そう問いかけているのです。
「教わる」を脱ぎ捨てた瞬間に、光が宿る
西中が求めているのは、言われたことを器用にこなす「優等生」ではありません。 「自分オリジナルの勉強方法を確立できる人」 。 もっと言えば、教えてもらわなければ動けない自分を卒業し、暗闇の中でも「こっちかな」と手探りで進める、そんな強さを持った子です。
まなび研究所では、日々そんな「自分との対話」を繰り返しています。 ピアノでも、スイミングでも、あるいは家のお手伝いでもいい。 「こうすれば、もっと上手くいくかもしれない」 そんな小さな、けれど自分だけの「発見」をした瞬間、お子さんの表情は一変します 。
それは、誰かに与えられた正解ではなく、自分の中から湧き上がった「一次情報」だからです。
アナロジーという、一生モノの翼
今回の入試の核心は「アナロジー(類推)」にありました。 「勉強以外で見つけた自分なりのやり方を、中学校生活という別の場所でどう活かすか」 。 これは、抽象化の能力です。
一つの経験を、単なる「思い出」で終わらせない。 「あ、あの時のあの感覚って、これにも使えるかも」 そうやって点と点を線で結ぶ力こそが、中学以降の、そして大人になってからの学びのエンジンになります 。
でも、お母さん、お父さん。
この「抽象化」の種は、机に向かっている時間だけでは育ちません。
ぼーっとする時間は、脳が耕されている時間
「早くお風呂から出なさい!」 「いつまでぼーっとしているの!」 ついつい口に出てしまいますよね。でも、実はその「空白の時間」こそが、お子さんの脳が今日学んだことを整理し、自分だけの「これだ!」を育んでいる貴重な時間かもしれません 。
読んだ本の内容を反芻し、自分の経験と重ね合わせる。 それは、オートモードで脳が動き、知識が知恵へと変わる神聖な学習プロセスです 。 私たちは、その静かな時間を、大切に見守ってあげたい。
もし、いま、お子さんが作文を前に筆が止まっていたとしても、それは「書くことがない」のではなく、「自分の中にある宝物に、まだ名前をつけていないだけ」かもしれません。
「さっきの本、お父さんだったらこう思うんだけど、あなたならどう感じる?」
「そのサッカーの練習、勉強の計画立てるのと似てるかもしれないね」
そんな、何気ない、けれど温かい対話の中から、お子さんだけの「言葉」は必ず生まれてきます 。
西中が求めているのは、完璧な文章ではありません。
自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の足で一歩を踏み出そうとする、その「意志」の輝きです。
合格の先にある、お子さんの長い人生。
そこで本当に必要なのは、どんな困難に出会っても「自分なりにやってみる」と言えるしなやかさ(これも過去に出題されたトッピクスですね)。
大丈夫。その種は、もうお子さんの中にあります。
私たち大人は、ただその芽が出るのを信じて、水をやり、共に待つだけでいいのです。
2026/02/09 Category | blog

