【9/16付】意見を育てるニュース教室:「もっとこうだったらいいのに」その言葉、聞き逃していませんか?
先日の「意見を育てるニュース教室」は、いつもとは少し違う、心地よい緊張感に満ちていたようですよ。この日のテーマは「日本に米軍基地を置くべきか」。浜松に住む子どもたちにとっては、肌感覚として捉えにくい、複雑で難しい問題です。
授業では、賛成と反対、二つのグループに分かれて討論会を行いました。自分の意見を述べ、相手の意見に反論する。ポイントを競い合い、勝敗を決める、いわゆるディベート形式です。
お父さん、お母さんは、こういう光景を想像すると、少しハラハラしてしまうかもしれませんね。「うちの子、うまく意見が言えるかしら」「言い負かされて、しょんぼりしていないかしら」「お友達と気まずくならないといいけれど…」。そう思われるのは、とても自然なことだと思います。
私たちは「討論」や「議論」と聞くと、つい相手を言い負かすための「勝ち負けのゲーム」を思い浮かべてしまいがちです。意見がぶつかり合うことを「争い」と捉え、なるべくなら波風を立てずに、みんなと同じ意見でいることに安心感を覚えてしまう。そんな経験はないでしょうか。
しかし、昨日、私が受けた授業報告では、単なる勝ち負けを超えた、尊い学びの姿でした。
授業を担当した小川先生の報告書に、こんな一節がありました。
「特に5年生の生徒さんは、ただ安易に賛成、反対意見を述べるのでなく、米軍基地を日本に置くメリット・デメリットをそれぞれ挙げ、その内容を比較した上で結論を述べており、説得力のある内容であった」。
これこそが、私たちが子どもたちに本当に身につけてほしいと願う「知性」の働きです。
本当の意味で「考える」とは、自分の意見に固執することではありません。たとえ自分と反対の立場であっても、一度相手の視点に立って、「なぜそう考えるのだろう?」「その意見のメリットは何だろう?」と想像してみる力。自分の意見の正しさを叫ぶ前に、まず異なる意見が存在する背景を深く理解しようと努める姿勢。その知的な往復運動の中にこそ、思考の深化があるのです。
討論の中で、賛成グループの子が「日本の安全が保たれるためには仕方が無い」と、少し苦しそうに反論する場面がありました。彼の頭の中ではきっと、基地が集中する沖縄の人々の痛みや苦しみを想像し、それでもなお、国全体の安全という大きな天秤にかけ、悩み抜いた末に出てきた言葉だったのでしょう。
相手の意見を知り、その痛みを想像する。その上で、自分の意見をもう一度見つめ直し、言葉を紡ぎ出す。このプロセスは、お子さんの心を、ただ強いだけでなく、しなやかで、他者の痛みに寄り添える優しいものへと育ててくれるはずです。
ご家庭での会話を、少しだけ思い出してみていただけますか。
お子さんが、お父さんやお母さんと違う意見を口にしたとき。その小さな反論を、「口答え」として遮ってしまってはいないでしょうか。家庭という何よりも安全な場所でこそ、子どもたちは安心して意見を戦わせ、間違うことを恐れず、自分とは違う考えに触れる練習ができるのです。
教室での討論が終わった後、子どもたちの表情に「勝ち負け」を気にする様子はありませんでした。むしろ、難しいテーマについて、自分の頭で考え抜き、仲間と意見を交わしたという達成感と、心地よい疲労感に満ちていました。
討論の目的は、全員を一つの正しい答えに導くことではありません。自分とは全く違う意見を持つ人がいる、というごく当たり前の事実を、知識としてではなく、肌感覚で知ること。そして、その「違い」を乗り越えて、なお相手に敬意を払うことができるようになったとき、人は本当の意味で賢く、そして優しくなれるのだと、私は信じています。
お子さんがいつか、社会という大きな舞台で、様々な価値観を持つ人々と出会ったとき。今日のこの教室での経験が、相手を尊重し、対話するための、小さな灯火となってその道を照らしてくれることを、心から願っています。

2025/09/17 Category | blog
« 過去問、解きっぱなしになってない?点数よりもっと大事な「振り返り」の話。 10月中学受験オンラインセミナーフォロー会 »
