「わかる」の向こう側にあるもの |まなび研究所の中学生たちが読む本
5月の『月イチBOOK』、畑村洋太郎さんの『畑村式「わかる」技術』を読んだ中学生たちから寄せられた感想を読んでいて、ふと立ち止まってしまいました。
「僕はこの本を読むまで、『わかる』とは表面的でも理解している、その物事について少しでも認識していて、『知っている』という状態のことを言うと思っていた。しかし、『わかる』とはそんな漠然とした薄っぺらいものではなく、物体構築なんだなと自分なりに考えた」
この中学生の言葉に、ハッとさせられました。「物体構築」という表現。なんて豊かな感性でしょう。
薄っぺらい「わかる」から立体的な「わかる」へ
多くの中学生が気づいたのは、今まで思っていた「わかる」が、実はとても表面的だったということでした。
「問題が解ける」「答えが出せる」—これまでこれで十分だと思っていた。でも本当は違うんですね。答えが出せても、その問題の根っこの部分、「なぜそうなるのか」という構造を理解していなければ、次に似たような問題が出てきたとき、また一から考え直さなければならない。
ある生徒は「テンプレートを組み合わせて、初めて分かる」ということに気づいたと書いていました。これは深い洞察です。
私たちは新しいことに出会ったとき、実は過去の経験の中にある「型」を引っ張り出してきて、それと照らし合わせている。その「型」がテンプレートなんです。テンプレートが豊富な子ほど、新しいことを理解するのが早い。逆にテンプレートが少ないと、いつまでたっても「わからない」状態が続く。
2500年前から変わらない学びの本質
孔子は2500年前、こんな言葉を残しました。
「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」
※「罔し」は「くらし」と読みます。「はっきりしない、ぼんやりしている」という意味です。
学んでも考えなければ身につかない。考えても学ばなければ独りよがりになって危険である—という意味です。
中学生たちの感想を読んでいて、まさにこの孔子の言葉を思い出しました。今まで多くの子どもたちは「学びて思わざれば」の状態だったのかもしれません。答えを覚える、公式を暗記する、問題を解く—でも「なぜそうなるのか」を深く考えることはしてこなかった。
私がこれまで指導してきた経験でも、短期間で大きく成長する子には共通点があります。それは、一つのことを学ぶとき、その背後にある原理や仕組みを必ず理解しようとすることです。
例えば、数学の公式を覚えるときも、「なぜこの公式が成り立つのか」「この公式はどんな場面で使えるのか」「似ているけど違う公式との関係は何か」—こういうことを考える習慣がついている子は、一度理解したことを忘れにくいし、応用も利くようになります。
親として、どう関わればいいのか
では、お子さんがこうした本質的な「わかる」力を身につけるために、親としてどんなことができるでしょうか。
まず大切なのは、お子さんが「わかった」と言ったとき、すぐに次のステップに進もうとしないことです。「どんなふうにわかったの?」「それって、前に習ったあのこととどう違うの?」といった質問を投げかけてみてください。
実は、多くの子どもたちは「わかったつもり」の状態で止まってしまっています。それを一歩先に進めるには、誰かが適切な問いを投げかける必要があるのです。
ある生徒の感想にこんなものがありました。「思考のショートカットをしないようにしたい。一つ一つの物事を丁寧に考えて、理解するようにしたい」
思考のショートカット—これは実に的確な表現です。私たちは楽をしたがる生き物ですから、つい「これでわかった」と早く結論を出したがる。でも、そこでもうひと踏ん張りできるかどうかが、本当の理解と表面的な理解を分ける分岐点なのです。
経験という名の宝物
畑村さんの本を読んだ中学生たちが気づいたもう一つの重要なことは、「経験の質」でした。
「ただ経験する経験主義ではなく、経験するときに物事をどう捉え、どうしたらより良いか考えながら経験すること」
この感想を書いた生徒は、きっと普段から物事を深く考える習慣がついているのでしょう。経験は、ただ数を重ねればいいというものではありません。一つ一つの経験を意味のあるものにするためには、そこから何かを学び取ろうとする姿勢が必要です。
お子さんが何かを体験したとき、「どうだった?」だけでなく、「何か気づいたことはある?」「今度同じことをするとしたら、どうする?」といった質問を投げかけてみてください。そうすることで、ただの体験が、お子さんの中でテンプレートとして蓄積されていきます。
言葉の豊かさは思考の豊かさ
今回の感想を読んでいて改めて感じたのは、言葉で表現する力の大切さです。
「わかる」という抽象的な概念を、「物体構築」「3次元な存在」「テンプレートの組み合わせ」といった具体的で豊かな言葉で表現できる子どもたち。この表現力こそが、深く考える力の表れなのです。
言葉の豊かさは思考の豊かさに直結します。お子さんとの日常会話でも、できるだけ具体的で豊かな言葉を使うよう心がけてみてください。そして、お子さんが何かを説明するとき、「もう少し詳しく教えて」「別の言葉で言うとどうなる?」といった問いかけで、表現力を伸ばしていけるといいですね。
「わかる」の向こう側にあるもの
結果を見るな、原因を見よ—私がいつも心に留めている言葉です。
お子さんがテストでいい点を取ったとき、その結果だけを褒めるのではなく、「どんなふうに勉強したからこの点数が取れたと思う?」と原因を振り返らせる。逆に、思うような結果が出なかったときも、「何が足りなかったと思う?」と一緒に考える。
本当の「わかる」は、その向こう側にあります。表面的な理解を超えて、物事の本質に迫ろうとする姿勢。それが身につけば、お子さんは一生涯にわたって学び続けることができるでしょう。
中学生たちの感想を読みながら、そんなことを考えていました。子どもたちの感性の豊かさに学ばせてもらいながら、私たち大人も「わかる」ということについて、もう一度考えてみませんか。

2025/06/14 Category | blog
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