表参道Apple Storeで気づいた、子どもの可能性を解き放つ「心地よいノイズ」の正体

私たちは、お子さんの未来を、整然とした静寂の中に閉じ込めてしまってはいないでしょうか?

先日、少しばかり足を延ばして、表参道にあるApple Storeを訪ねてみました。Apple intelligenceのセッションを受講するためです。そこは、私の想像を心地よく裏切る、不思議な空間でした。

私が講義を受けているすぐ隣では、新しい製品を手に取って目を輝かせている若者がいる。少し離れた場所では、家族連れが楽しそうに製品を体験している。そして、私のすぐ後ろのテーブルでは、まさに新しいiPhoneの購入手続きが進められていました。

講義の参加者は、出入りも席の移動も自由。ざわめきと活気が、まるで心地よいBGMのように満ちている。そこには、私たちが「学びの場」と聞いて思い浮かべるような、水を打ったような静寂はありません。あるのは、それぞれの目的を持った人々が、それぞれのスタイルで「今」に没頭している、躍動的なエネルギーでした。

その光景を眺めながら、私の胸にふと、ある問いが浮かびました。

私たちは、子どもたちのために「良かれ」と思って用意している学びの環境が、かえって彼らの可能性の芽を摘んでしまってはいないだろうか、と。

静かで、整然と片付いた子ども部屋。参考書や問題集がきちんと並べられ、外部からの刺激が遮断された空間。私たちはそれを「集中できる良い環境」だと信じています。もちろん、それが必要な時間もあるでしょう。しかし、その静寂は、本当に子どもの知的好奇心に火をつけるための、最善の場所なのでしょうか。

Apple Storeのあの空間は、言うなれば「知の交差点」でした。講義という「目的の学び」のすぐそばに、製品という「興味の対象」があり、人々との交流という「偶然の出会い」がある。一見すると、集中を妨げる「ノイズ」だらけです。しかし、そのノイズこそが、新しい何かを生み出すきっかけになるのかもしれない、と感じずにはいられませんでした。

歴史の勉強をしている子が、ふとリビングのテレビで流れていたドキュメンタリーに心を奪われ、そこから全く新しい探求を始める。数学の問題に煮詰まっていた子が、弟の遊ぶブロックの形に、解法のヒントを見出す。そんな経験はないでしょうか。

こうした「勉強以外の勉強」、つまり「ノイズ」との出会いが、子どもの視野を広げ、点と点だった知識を線で結びつけ、やがて立体的な思考力へと育てていくのではないでしょうか。 1

お子さんの机の上は、完璧に片付いていることが理想ですか?

お子さんは、静かな部屋でたった一人、孤独に問題と向き合うべきなのでしょうか?

親である私たちの役割は、子どもを無菌室のような環境に閉じ込めて管理することではないのかもしれません。むしろ、様々な文化や情報、人々の熱気が行き交う、活気あふれる市場(マルシェ)のような場を、家庭の中に、あるいは子どもの日常の中に、どうデザインしていくか。そして、その中で子どもが何に心を動かし、自分の足で歩き出すのかを、信頼して見守ること。そこにこそ、親として、そして教育に携わる者としての醍醐味があるように思うのです。

子どもたちが将来向き合う社会は、決して静かで整然とした場所ではありません。多様な価値観が混じり合い、予測不能な出来事が次々と起こる、躍動的で変化に富んだ世界です。ならば、私たちの塾もまた、そうした社会を生き抜く力を育む「研究所」であるべきだと、私は強く想いを新たにしました。

ただ黙々と問題を解くだけではない。時に仲間と議論を戦わせ、時に道草を食い、一見無関係な本の世界に没頭する。そんな熱気と、心地よい「ノイズ」に満ちた動的な空間。

まなび研究所が、お子さんにとってそんな「未来を創る交差点」のような場所であれたら、これほど嬉しいことはありません。

一度、私たちの小学生の授業の「ざわめき」を、感じに来てみませんか。そこにはきっと、お子さんの新しい可能性の扉を開くヒントが、隠されているはずですから。


2025/09/29 Category | blog 



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