【10/14付】意見を育てるニュース教室:お子さんの「無力感」は、大人が育てているのかもしれない。
今週の「意見を育てるニュース教室」で、私たちは子どもたちと共に、非常に重く、複雑な問題と向き合いました。遠く離れた地で続く「パレスチナ問題」について、国際社会、そして自分たちに何ができるかを考えるという、大人でも答えに窮するような課題です。
浜松に住む子どもたちにとって、それは新聞の向こう側の出来事。圧倒的な悲劇の大きさと、自分という存在の小ささの間に、心を閉ざしてしまっても無理はない。正直、私はそう思っていました。
しかし、教室で交わされた言葉は、私のそんな浅はかな心配を、根底から覆すものでした。
ある子は、「国連を中心に、中立的な外交支援と人道支援、そして国際法の尊重を実行していくべきだ」と、極めて冷静で構造的な解決策を語ってくれました。
またある子は、「欧米が停戦を仲介しても軍事行動がやまないなら、『イスラエル・パレスチナ“両方”の民の苦しみ』を伝えるという方法に代えるべきだ」と、一方に偏らない、驚くほど成熟した視点を示してくれました。
授業を担当した小川先生の報告書によれば、今回の授業で初めてこの問題を知ったという生徒もいたそうです。だからこそ、「まずは私たち自身が学び、それを周りの人に伝えていくことが大切だ」という声も上がりました。知ること、そして伝えること。その原点に立ち返る意見に、私も胸を打たれました。
その中でも、小川先生が「特に印象深かった」と綴り、私の心にも深く突き刺さったのが、ある生徒さんの静かな、しかし確信に満ちたこの一言です。
「自らSNSで伝える事で、世界は変わると思います」
さて、これを読んでくださっているお父さん、お母さん。
もし、お子さんが真剣な顔でこう言ったとしたら、あなたは心の中で、どう応えるでしょうか。
「そんなことで、戦争が止まるわけないだろう」
「ナイーブだな。世の中はそんなに甘くないよ」
我が子を思うからこそ、傷ついてほしくないからこそ、ついそんな「現実」を教えようとしてしまうかもしれません。大人がいつの間にか身につけてしまった、賢さという名の諦めを、子どもに与えてしまうかもしれません。
しかし、私はあえて申し上げたいのです。
その一言を、「青臭い理想論だ」と笑うことのできる大人がいるのだとしたら、その人こそが、この世界から希望を奪っているのだ、と。
考えてみてください。
彼らがSNSで発信する一言は、単なる「つぶやき」ではありません。
それは、「私は、この悲劇の傍観者でいることを拒否します」という、人間としての尊厳をかけた、力強い宣言です。それは、「遠い国の痛みは、私と無関係ではない」と、想像力の翼を広げ、国境線を越えていく、祈りのような行為です。
そしてそれは、同じように無力感に苛まれている世界の誰かの心に、「君は一人じゃない」と灯をともす、連帯の狼煙(のろし)なのです。
この声の尊さを、私たち大人が信じなくて、どうするのでしょうか。
子どもたちは、私たちが思う以上に、世界の痛みに敏感です。そして、自分たちが無力ではないと、心の底では信じたがっています。
その小さな、しかし、何よりも尊い希望の芽を、「現実」という名の固い土で覆い隠し、踏みつけてしまっているのは、もしかしたら、私たち大人自身なのかもしれません。
お子さんが、新聞を読み、心を痛め、何かを語り始めたとき。
それは、彼らの心の中に「世界を変える力」が、まさに生まれようとしている、奇跡のような瞬間です。
その声を、どうか、聞き逃さないであげてください。
「どうせ無理だよ」という一言で、その尊い意志を摘み取ってしまわないであげてください。
学ぶことの意味とは、知識を蓄えることだけではありません。世界の痛みを知り、それに無関心でいられない心を育て、そして、「自分の一歩が世界を変える」と信じる力を手に入れることだと、私たちは信じています。お子さんのその小さな一歩を、世界で一番の応援者として、ただ信じて見守ってあげること。それこそが、私たち大人にできる、最も重要な支援なのかもしれません。

2025/10/16 Category | blog
« 静大附属浜松中入試②:学校からの「挑戦状」。なぜ、算数が最初に来るのか? 答案用紙の「バツ印」の先に、何を見ていますか? »
