【12/9付】意見を育てるニュース教室:「悪者」が「希望」に変わるとき
リビングで画面に向かうお子さんの背中を見て、ふとため息をついてしまうこと、ありませんか。
「そんな時間があるなら、単語のひとつでも覚えればいいのに」
親御さんのそんな心の声が、手に取るように分かります。かつては私も、そう考えていた大人の一人でしたから。テレビゲームといえば、勉強の邪魔をする「悪者」。私たち世代にとっては、それが当たり前の感覚だったかもしれません。
けれど、子どもたちの眼差しは、私たちよりもずっと遠く、本質を見つめているようです。
先日、まなび研究所で行われている「意見を育てるニュース教室」で、小川先生から興味深い報告を受けました。テーマは『eスポーツの可能性』。そこで語られた生徒たちの言葉が、私の凝り固まっていた価値観を、優しく解きほぐしてくれたのです。
「不登校だった子が、eスポーツを通して変わっていく。技術だけじゃなくて、チームワークを磨くことができる場所なんだ」
Tくんという生徒が、そう発言しました。彼はゲームの中に「逃げ場」ではなく、社会とつながる「居場所」を見出していたのです。YくんやTさんも、「年齢や性別に関係なく、共通の目標へ向かうことで人のつながりが生まれる」と続きます。
彼らが見ていたのは、単なる娯楽としての勝敗ではありませんでした。
戦略を練り、仲間と協力し、自分を律して勝利を目指す。Sさんが「自己肯定感を得やすい」と語ったように、そこには小さな成功体験の積み重ねがあります。また、Sさんが気づいたように、ルールを守り課題をクリアする「非認知能力」を育む場でもあったのです。
私たちが「ノイズ(雑音)」だと感じて切り捨てようとしていたものの中に、実はお子さんの才能の種や、生きていくためのたくましさが隠されているとしたら。
勉強以外の何かに熱中することは、一見すると遠回りに思えます。しかし、そこには教科書だけでは学べない「世界との関わり方」が詰まっているのかもしれません。かつての「悪者」が、ある子にとっては人生を切り拓く「希望」になり得る。子どもたちはその事実を、柔軟な感性で受け止めていました。
もちろん、無制限に遊ばせることへの不安は尽きないでしょう。Sくんが触れていたように、そこには「自らをマネージメントする力」が不可欠です。
ただ、ふと思うのです。
私たち親が「勉強しなさい」という正論の剣を一旦脇に置き、「この子は画面の向こうに、どんな世界を見ているのだろう?」と、隣に座って同じ景色を眺めてみたらどうなるだろうか、と。
お子さんが何かに夢中になっているとき、その瞳の奥では、親がまだ気づいていない「原石」が静かに輝き始めているのかもしれません。
正解のない時代です。
時にはお子さんの視点に立ち、その柔軟な世界観に触れてみる。
そんな心の余裕が、親子の対話を温かく彩っていくような気がしています。

2025/12/10 Category | blog
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