解く時間と、止まる時間。わが子の「本当の頑張り」をどこに見つけますか?
夏期講習「問題演習6days」が始まり、教室には心地よい緊張感が漂っています。
部活を終えて駆けつけてくる中学生、少し大人びた表情で問題に取り組む小学5・6年生たち。90分という時間を、1日に3セット。
その集中力とエネルギーには、毎年のことながら心を打たれます。
私は、子どもたちが提出してくれる演習シートのスケジュールに、少しずつ変化が表れていく様子を見るのが好きです。
そこには、自分で立てた勉強の計画が書かれており、その変化からは、子どもたちの成長や試行錯誤の跡が感じられます。
それは、次々と問題を解き進める「動」の時間と、ふとペンを止めて腕を組み、自分のノートに思考を整理する「静」の時間との対比でもあります。
もし、わが子が問題を解く手を止めていたら――。
親御さんとしては、「集中が切れたのかしら」「時間がもったいない」「もっと手を動かしてほしい」と、不安な気持ちになるかもしれませんね。
そのお気持ち、痛いほどよくわかります。時間は有限ですし、とくに受験という大きな目標があるならばこそ、一分一秒を無駄にしてほしくないと願うのは当然のことです。
でも、少しだけ、その「静かな時間」に寄り添ってみませんか。もしかしたら、その沈黙にこそ、学力が本当の意味で根付き、枝葉を伸ばしていくための、大切なドラマが隠されているのかもしれないのです。
先日、こんな生徒がいました。仮にA君としましょう。彼はとても真面目で、演習が始まると同時に猛烈な勢いで問題に取り組みます。しかし、しばらくすると、同じようなミスを繰り返してしまう自分に少し苛立っているようでした。
私は彼の演習シートに、「振り返りの時間」という項目をそっと書き加えてみることを提案しました。問題を解く時間と、間違えた問題と向き合う時間を、意図的に分けてみるのです。
最初は半信半疑だったA君ですが、騙されたと思ってやってみました。間違えた問題の解説をじっくりと読み込み、なぜその答えになるのかを理解するだけでなく、「なぜ自分はこの間違いをしたのだろう?」と、自分の思考のプロセスそのものを、ノートに書き出し始めたのです。
「ああ、そっか。俺、問題文のこの言葉を読み飛ばす癖があるんだ」
「この公式は覚えているつもりだったけど、どういう時に使うのか、全然わかっていなかったんだな」
彼のノートは、単なる間違いの記録から、未来の自分への「申し送り事項」が書かれた航海日誌へと変わっていきました。 驚いたことに、その「静かな時間」を取り入れてからの方が、A君が解ける問題の質も量も、目に見えて向上していったのです。
私たちはつい、「頑張り」を、目に見える行動の量で測ってしまいがちです。解いた問題の数、机に向かっていた時間の長さ。それらはもちろん、大切な努力の証です。
しかし、もし学力の成長が、Jカーブのような「成功曲線」を描くとしたらどうでしょう。 最初はたくさんの努力を注ぎ込んでも、なかなか成果として表れない停滞期が必ずあります。 多くの生徒が、そして親御さんが、この時期に「このやり方でいいのだろうか」と不安になるのです。
この停滞期を突き抜け、ぐんと急な角度で伸びていくために必要なもの。それが、自分の現在地を客観的に見つめる「振り返りの時間」なのではないでしょうか。
それは、スポーツ選手が自分のプレイを録画で何度も見返し、理想のフォームとのズレを分析する作業に似ています。 ただ闇雲に練習量を増やすのではなく、自分の動きを客観的に「観る」ことで、次の一歩が的確になる。
「なぜ、私はこう考えたのだろう?」
これは、感情的になっている自分(一人称)から少し離れて、もう一人の自分が冷静に分析しているような、不思議な感覚かもしれません。 まさに、自分の学習のコンサルタントになるようなものです。この視点を持てたとき、子どもたちは「やらされる勉強」から抜け出し、自らの学びの「主体」となるのです。
問題を解き続けることは、知識という名のレンガを運ぶ作業(タスク)かもしれません。 しかし、立ち止まって考える時間は、そのレンガをどう積めば、自分の未来につながる頑丈で美しい家を建てられるかを設計する、創造的な行為(バリュー)なのです。
この夏期講習で、子どもたちには自分の勉強法を少しだけアップデートするヒントを掴んでほしいと願っています。そしてその学びを、ぜひご家庭での学習にも持ち帰っていただきたいのです。
お子さんが、ふと手を止めて、考え込んでいるとき。それは、サボっているのではなく、頭の中で次のステージへジャンプするための、複雑な計算をしているのかもしれません。脳が、学んだことを整理し、記憶に定着させようと、懸命に働いているのかもしれません。
その「静かな時間」を、どうか温かく見守ってあげてください。
「何か難しいことでも考えているの?」と、ただ寄り添う一言が、お子さんの思考を邪魔することなく、むしろその孤独な戦いを支える何よりの応援になることがあります。
お子さんのノートを、機会があれば一緒に覗いてみませんか。そこに書かれているのは、単なる間違いの記録ではなく、昨日までの自分を超えようと格闘した証であり、明日出会うであろう新しい問題への「作戦メモ」かもしれません。そんな、未来の自分へ宛てた、誠実な手紙のようなものかもしれませんよ。
2025/08/06 Category | blog
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