【何のための中学受験なのかシリーズ Ep.0】宝にも毒にもなる中学受験
夜10時。静まり返ったリビングに、鉛筆を走らせる音だけが響いています。
わが子の小さな背中を見つめながら、「これでいいのだろうか」と、ふと不安にかられる夜。そんな経験はありませんか。
中学受験。
それは、多くのご家庭にとって、お子さんの未来を想うからこその、大きな決断であり、長い旅路の始まりです。
この数年間(数ヶ月間)にわたる旅は、親子の絆をかつてないほど強く結びつけ、かけがえのない「宝物」になることがあります。一方で、時としてその道のりは、親子の心をすり減らし、笑顔を奪う「毒」となってしまうこともある。私はこれまで、受験という名のドラマが繰り広げられる数多の受験指導の中で、その両方の光景を目の当たりにしてきました。
合格発表の日。合否結果通知書を開いて抱き合って涙を流す親子がいます。その涙は、単なる合格の喜びだけではありません。親子で一つの目標に向かい、喧嘩もし、励まし合い、共に乗り越えてきた日々の記憶が、温かい涙となって溢れ出すのです。子どもの手はいつの間にか大きくなり、その横顔には、確かな自信とたくましさが宿っている。そんな成長を目の当たりにできるのは、この旅がくれた、何よりの贈り物かもしれません。
その一方で、こんな親子も見てきました。
誰もが羨む”静岡大学附属浜松中”や”浜松西高中等部”といった難関校の合格通知を手にしても、親子の間には乾いた空気が流れている。子どもは一点を見つめたまま、そこに笑顔はない。親は「これだけやったのだから当然」と安堵の表情を浮かべるけれど、その目はどこか寂しげです。長いトンネルを抜けたはずなのに、そこに広がっていたのは、光の射さない荒野だった。
なぜ、同じ道を歩んでも、たどり着く景色がこれほどまでに違うのでしょう。
それは、決して偏差値や塾の成績だけで決まるものではありません。
私は、その分かれ道が、この旅路の「目的」をどこに置くか、その小さな違いから生まれるのではないかと感じています。
現代社会は、私たち親に「より良い教育環境を」という見えない圧力をかけ、未来への漠然とした不安を煽ります。その中で、わが子の成功を願うあまり、いつしか私たちは、合格という「結果」だけを追い求めてしまう。学校のテストの点数に一喜一憂し、「あなたのため」という言葉で、子どもの心を縛ってはいないでしょうか。
この長く、時に険しい道のりで、お子さんが本当に手に入れるべきものは何なのでしょう。
それは、難問を解き明かす思考力でしょうか。それとも、膨大な知識でしょうか。
もちろん、それらも大切です。しかし、それ以上に、もっと深く、その子の人生の根っこを支えるような、大切な何かがあるように思うのです。
それは、困難な課題から逃げずに向き合う胆力かもしれません。
自分の弱さと向き合い、それを乗り越えようとする克己心かもしれません。
そして何より、どんな結果になろうとも、自分は独りではないと信じられる、家族という名の安全基地がそこにある、という揺るぎない安心感なのかもしれません。
このシリーズでは、これから「何のための中学受験なのか」という、シンプルでありながら、とても深い問いについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
心理学や脳科学のデータも少しだけご紹介するかもしれません。でも、それは知識をひけらかすためではなく、お子さんという、計り知れない可能性を秘めた存在を、より深く理解するためのヒントとしてです。
この中学受験が、ご家族にとって「宝」となるために、私たち親にできることは何なのか。
お子さんのリュックサックに、どんな言葉を、どんな眼差しを、そっと忍ばせてあげられるのでしょうか。
合否という結果を超えた先にある、本当のゴールを見つけるために。
この中学受験が、お子さんの人生にとって、そしてご家族にとって、温かく、実り豊かなものになることを、心から願っています。
エピソード1へ続く。
2025/08/20 Category | blog
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