【何のための中学受験なのか Ep.2】愛情という名の刃(やいば)

前回、中学受験にはストレスがつきものであること、そして、そのストレスとの向き合い方が大切だというお話をしました。

今日は、そのお話の続きです。

もし、そのストレスが私たちの心のダムを越え、濁流となって溢れ出してしまったら…という、少しだけ勇気のいる、でも、とても大切なお話をしたいと思います。

どうか、誰かを責めるためではなく、私たち自身と、大切な大切なわが子を守るために、少しだけ耳を傾けていただけたら嬉しいです。

家庭内のストレスが臨界点を超え、親の不安や期待が、お子さんの心を支配し始めてしまうとき。

それはもう「教育」という名の道を外れ、「教育虐待」という、悲しい名前の荒野へと迷い込んでしまうことがあります。

言葉にするのも辛いことですが、実際に、胸が張り裂けそうになるような出来事が、私たちのすぐ側で起きています。

あるお子さんは、お父さんからの過度な期待と叱責に耐えきれず、自分の髪を抜いてしまうようになりました。そして、中学生になったとき、ぽつりとこう漏らしたといいます。「ずっと死にたいと思っていた」と。

また、あるお子さんは、お兄さんと比べられ続け、本人の気持ちとは関係なく中学受験の道へ進みました。結果は、不合格。その子の心には、今も「劣等感のような感覚が強く残る」ことになってしまったそうです 2

これらの話を聞いて、皆さんはどんな気持ちがするでしょうか。

そして、そうさせてしまった親御さんを、私たちは一方的に責めることができるでしょうか。

きっと、そのお父さんもお母さんも、わが子を誰よりも愛し、その子の将来を心から案じていたはずなのです。

それなのに、どこで、何が、ボタンを掛け違えてしまったのでしょう。

その掛け違いは、取り返しのつかない、深く長い傷を残すことがあります。

中学受験をきっかけに冷え切ってしまった親子関係が、お子さんが大人になっても、凍てついたまま続いてしまう。「小学生の頃に戻って、あの子との関係を作り直したい」。そう後悔する親御さんの声を、私は何度も聞いてきました。

ある女性は、50年という半世紀の時が過ぎてもなお、受験を巡る親とのわだかまりが消えないと語っています。その傷の深さに、私は言葉を失います。愛情が、これほどまでに長く人を苦しめる鎖になり得るとは…。

ここで私たちが向き合わなければならないのは、中学受験というイベントそのものが「毒」なのではない、という事実です。

それは、あくまで触媒。

私たち親が、心の奥底にもともと持っている不安や焦りを、何倍にも増幅させてしまう、強力な触媒なのです。

社会は、「子どもの成功は親の責任」という見えない重圧を、私たちの肩にのせてきます。その重圧に押しつぶされそうになったとき、私たちの心の中にいる「不安」という名の怪物が、目を覚ましてしまうのかもしれません。そして、そのコントロールを失った怪物は、一番愛おしいはずのわが子へと、牙を剝いてしまうのです。

お子さんにとって、それは「あなたのため」という名の、最も受け入れがたい攻撃に感じられます。親は支援しているつもりでも、子どもは自分の存在そのものを否定されているように感じ、心の均衡を崩してしまうのです。

そう考えると、この旅路における最大の毒は、難しい算数の問題でも、覚えられない理科の知識でもないのかもしれません。

それは、私たち親自身の、コントロールできなくなった「不安」そのもの。

だとしたら、私たちはまず、わが子の成績表と向き合う前に、自分自身の心と、静かに、正直に向き合う時間が必要なのではないでしょうか。

あなたの胸の中にあるその不安の正体は、一体何ですか。

その不安と、どうすれば仲良く手を取り合って、お子さんの隣を歩く「一番の応援団」でい続けられるのでしょうか。

次回は、そのことについて、一緒に考えていきたいと思います。


2025/08/26 Category | blog 



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