合格する子は、なぜ鉛筆を置いて考え始めるのか?浜松西高中等部 作文で差がつく「メモの力」
受験生たちが帰ったあとの教室で私は一人、机に残された作文用紙の消し跡を眺めていました。それは、浜松西高中等部を目指し、懸命に頑張っていたある生徒さんのものでした。何度も書いては消し、また書いては消しを繰り返した末に、時間切れとなってしまった言葉の断片たち。その跡は、まるで声にならない叫びのようにも見えました。
親御さんから、「うちの子、本番で頭が真っ白になってしまったらどうしよう」という不安な声を伺うことがあります。そのお気持ち、痛いほどよくわかります。特に、浜松西高中等部の作文は、大人が読んでも深く考えさせられるような、骨太なテーマが出されます。限られた50分という時間の中で、お子さんたちは思考の海を懸命に泳ぎ、自分の言葉という岸辺にたどり着かなければなりません。そのプレッシャーは、計り知れないものがあるでしょう。
以前、こんなことがありました。模試の最中、400字以上という条件をクリアしたにもかかわらず、「何か違う」と感じた途端、それまで書いた全てを消してしまった生徒さんがいたのです。そして、もう一度書き始めようとした時には、無情にも時間はほとんど残されていませんでした。
結果は、文字数不足。彼の答案用紙に残されたのは、数行の未完成な文章と、大きな空白だけでした。
彼は、決して書く力がなかったわけではありません。むしろ、誰よりも真面目で、より良いものを書きたいという気持ちが強いお子さんでした。では、何が、彼の指を「全消し」のボタンへと動かしてしまったのでしょう。そして、その真っ白な答案用紙は、私たち大人に何を語りかけているのでしょうか。
もし、彼が書き始める前に、ほんの数分、鉛筆を置いて深く息を吸い、頭の中にある想いのカケラを、小さなメモに書き出していたとしたら。物語はどう変わっていたでしょう。
家を建てる前に、いきなり壁を塗り始める人はいません。まず、どんな家にしたいか考え、柱を立て、骨組みを作るための「設計図」を描きますよね。作文も、それと同じなのかもしれません。書きたいこと、伝えたい想いという素材は、お子さんの中に溢れるほどあるのです。ただ、その素材をどう組み立て、どの順番で並べるかという「設計図」がないまま書き進めてしまうと、途中で道に迷ってしまうことがあります。「あれ、結局何が言いたかったんだっけ…?」と。
その迷いが、焦りを生み、完璧を求める気持ちと相まって、「全部やり直したい」という衝動に繋がってしまうのかもしれません。
もう一つ、考えてみたいことがあります。それは、「時間」との付き合い方です。50分という時間は、お子さんにとって長いでしょうか、それとも短いでしょうか。おそらく、夢中で書いている時にはあっという間に過ぎ去り、言葉が出てこない時には永遠のように長く感じるでしょう。
もし、50分という時間を一枚の地図として、あらかじめ自分だけの「フォーマット」を描いておいたらどうでしょう。「最初の5分は、深く文章を読み解き、メモを書く時間」「次の35分で、設計図に沿って一気に書き上げる時間」「最後の10分は、冷静に見直す時間」というように。
自分だけの時間の使い方、いわば「航海術」を身につけておくこと。それは、時間の波にのまれるのではなく、時間を乗りこなすための、自分だけの羅針盤を持つということなのかもしれません。
作文の対策を通して私たちが見ているのは、テクニックだけではありません。物事を始める前に、どう準備し、段取りを考えるか。本番というプレッシャーの中で、いかに自分を客観的に見て、冷静さを保つか。そして、もし失敗してしまった時に、どう立て直すか。
これらは、受験という短い期間だけでなく、お子さんがこれから先の長い人生を歩んでいく上で、ずっと支えになってくれる「生きる力」そのもののように、私には思えるのです。
あの日の、真っ白な答案用紙。それは失敗の証ではなく、私たちに大切なことを教えてくれる、貴重なメッセージでした。お子さんの中には、もうちゃんと、人生という大海原を渡っていくための羅針盤の芽が眠っています。私たち大人の役目は、その芽が安心して育つ土壌を整え、静かに見守ってあげることなのかもしれませんね。
2025/08/29 Category | blog
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